物語のキャラクターで説明する危険性

 

ホメオパシーは一般的な薬のように身体だけ、または
気分だけに作用するものではなく、その両方に、
全体的に働きかけます。

 

つまり、「その人の状態そのもの」に働きかけるので
よく、ホメオパシーで使われる一つ一つのレメディーは
映画や物語の登場人物になぞらえて紹介されます。

 

物語の登場人物は、キャラが分かりやすく描かれているので
「このレメディーが合う人の特徴はこんな感じ」と説明するのに都合がいいからです。


しかし、私は今までほとんど

この手法をとったことがありません。

 

誰かを例に挙げるのは、言外の「雰囲気」まで説明するのには
とても便利なやり方なのかもしれないですね。

 

 

でも、逆にそのレメディーの持つ他の可能性に
気付かなくなる恐れがあります。


あるいは、外側に引っ張られてその方の核となる特徴を
捉え違うかもしれない。

 

 


例えばプラタイナという白金から作られたレメディーがあります。


これは月経障害や痺れといった身体的症状、また
高慢で情熱的な精神状態に合うことが多い、と言われるのですが


その雰囲気を掴んでもらおうということで、
「叶姉妹のような感じ」と例えられるのをしばしば見聞きします。

 

でもそれでは、パッと見があのような雰囲気の方にしか
フォーカスしなくなる恐れがあります。

 

よく話をしていけば、どこかに高望みや自己陶酔の片鱗が

見えたりする。
そんな「匂い」のようなものを嗅ぎ取っていかなくてはいけないのに。

 

 

また、同じ人物からでも「高慢」しか受け取らない人もいれば
その奥に「強い意志」や「孤独」まで感じる人もいる。

 

受け取る側の問題もあるので、
ある人物をキャラクターの説明に使うのは難しい、と私は思うのです。